⑮ 産後うつ治療編(入院1ケ月目)

母親としての自信と生きたい気持ちが芽生えたときの話。

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こんにちは、ミィです。私は、第一子を出産後に、産後うつ病になり、産後3カ月から精神科に入院しました。3カ月間の入院生活を経て、産後9カ月で寛解に至っています。

さて、今回は、私がうつ病となってから失っていた「自信」を回復し、初めて「生きて治りたい」と心から願ったときの話を書いていきたいと思います。それは、私が本当の意味で自分自身が病気であると認め、病気と向き合った瞬間でもありました。

 

入院して、絶望の中から少しずつ前に進んでいた

入院したての頃の私は、うつ病という診断にショックを受け、否定し、我が子のことを思ってはベッドの上で号泣してばかりいました。

起きているときは「退院後どうしよう。育児が出来るようになるわけがない。」と、不安と絶望のネガティブスパイラルに陥り、「母親はみんな育児しているのに、出来ない私は母親失格だ。」と自分を責めていました。

いっそ死ねれば、家族にも迷惑をかけず、自分もこれ以上苦しむことなくいられるのに。死ぬことすら出来ず、苦悶の日々を過ごしていました。

決して大げさではなく、限りなく死に近いところにいたように思います。

そのような絶望の日々を、私がどうやり過ごして行ったのかと言えば、

薬を飲んで、ひたすら眠る

主治医の「育児は出来て当たり前のことじゃない。本当に大変なことだ。」という言葉に救われる

一歩一歩ゆっくり前進、今のことだけ考える

作業療法に打ち込み、悩みから気持ちを離す

毎週お見舞いに来てくれる夫の理解

ネットで産後うつの仲間を見つける

そのようなことを続けながら、ほんの少しは前に進んでいったように思います。

 

3カ月検診で、息子が順調に育っていると褒められる

入院18日目に、ひとつのターニングポイントが訪れました。息子・大ちゃんの3カ月検診です。

私は入院中で行けませんので、代わりに義母に行ってもらいました。そこで、医師から大ちゃんは褒められたと、いっくん(夫)が言ったのです。

いっくんは、「ミィのおかげで、大ちゃんは元気に大きくなっている」と言ってくれました。

当時の日記にはこう書いてあります。

入院18日目(産後130日)

3カ月検診で、予防注射をちゃんとやってることと、よく育っていることを先生に褒められたらしい。私なりに、判断力や記憶力や集中力がないなりに、全力でめちゃくちゃ頑張って育てたつもりなので、やっと認めてもらえたことが本当に嬉しく、もう少し頑張りたいと思った。自分で育てられないことや、息子と二人になる不安感などで、自分は母親失格なのではないかと思いつめていたので、本当に嬉しかった。心が楽になった。そんな少しのことで、「生きたい」「治りたい」と思えるものなのだ。

必死にこなした予防注射

私は、産後3カ月間、ほとんど眠っていません。思考力はほぼゼロに近かったと思います。文字も読めず、人の話している内容すらいまいち理解できませんでしたから。

それでも、私は自分の判断で生後2カ月からの予防注射のスケジュールをこなしていたのです。

子育てしている人なら分かると思いますが、今の予防注射のスケジュールは打つべきワクチンが沢山あって、かなり複雑です。冴えてる頭でも難しいです。なぜうつ病の私にそんなことがこなせたのかと言えば、産前に予防注射のスケジュールを予習していたからです。

家族からは、「自分で予防注射のスケジュールまで組めるんだから、ちゃんと育児している。余裕があるんだ。」と見られてしまったんですけども、決してそうではなく、必死の思いでやっていました。

 

うつ病でも、育児から逃げ出さなかった

私は聴覚過敏になり、ミルクを吸う音ですら耳を刺激する不快な音に聞こえ、夜も眠れず、焦燥感のためにベッドで横になることも出来ず、大汗をかきながらソワソワと歩き回ってしまい、毎日ひたすら死を願っていました。

にもかかわらず、夜中のミルクを投げ出さずに一人でやり通しました。

抱っこ、ミルク、おむつ替え、沐浴、寝かしつけ、予防注射・・・すべての育児から、私は逃げ出しませんでした。

どんなに苦痛で、生きた心地がせず、地獄であっても。私にとって、育児は自分がやるべきことであり、育児から逃げ出すことは、自分が死ぬこととイコールだと思っていました。

100日間、極限状態の中で頑張りつつも、「死にたい」という訴えは冗談だと思われてしまい、どうすることも出来ずに、自殺を決意するも失敗し、精神科に入院してしまったのです。

 

「生きたい」「治りたい」という気持ちの芽生え。

私がうつ病に耐え抜き、頑張ったことは、もちろん、褒めてもらうようなことではありません。結果的に、頑張りすぎたせいで、自殺未遂、入院という最悪な結果になったのですから。

ですが、私としては、「自分が死ぬ気で頑張ったことを誰かに認めてほしい。」という気持ちがありました。

だって、私はどんなに頑張っていても、我が子恐怖症のために、大ちゃんと二人きりになれず、そのために自分のことを異常な母親だ、育児が苦手なダメな母親だと、自分のことを責めて、責めて、苦しんでいたんですから。

それがやっと、第三者の目から見て、客観的に認められたのですから、これほど嬉しいことはありませんでした。

大ちゃんはすくすくと成長し、体重は二倍以上に大きくなり、母子手帳の予防注射の欄は完璧に埋まっていました。

私は、これまでの人生、わりと優等生だったので、努力が結果に結びつき、人から認められ、褒められることが多かったように思います。

でも、母親になってからは、どんなに苦しく、大変な思いをして子育てを頑張っても、「家庭」という閉ざされた空間の中で、第三者から認めてもらうことがなかなかない。

加えて、うつ病の症状のひとつとして、自分を責める気持ちが強くなっていました。

ですから、第三者の目で、自分が頑張って来たことを褒められたことは、失っていた自信を回復させるきかっけとなりました。

ここで、私は本当の意味で、自分が病気であるという認識を持ちました。

私は育児が出来ていたんだから。うつ病にならなければ、我が子恐怖症にもならず、普通にやっていたんだから、と。

心が楽になり、「もっと育児を頑張りたい」「生きたい」「治りたい」そんな気持ちが私の心に芽生え始めました。

育児は頑張らなくていい。

育児を頑張ることが美徳だとは全く思いません。

この記事を読んだ方が、「私は育児を頑張ってないな」と思って欲しくはありません。

頑張りすぎて、心が不安定になったり、自滅しては元も子もないので、「人に頼りながらそこそこやる」くらいが、母親にとっても、子どもにとってもいいのかなと、今は思っています。

大ちゃんが1歳5カ月になった今は、ダラ母です。まー、頑張ってないです。

育児をしたての頃は、初めて母となり、ものすごく肩に力が入っていたのかな。

今は、過去に頑張った自分のことは認めてあげたい。うつ病と戦った自分のことも認めてあげたい。そんな気持ちでいます。

産後うつになってしまったお母さんは、この世に存在しているだけで十分頑張ってると思います。生きてるだけで十分すぎるほど、辛いですから。

どうか自責の念が少しでも拭われるきかっけがありますよう。

⇒ つぎの記事  うつが回復して来たときこそ、焦りは禁物。

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ミィの産後うつブログが本になりました。
ブログに書いた産後うつ体験記や、精神科医のアドバイス、産後うつチェックリストが載っています。