⑭ 発狂からの自殺未遂、そして入院編

産後3カ月「産後うつ」と診断されました。

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こんにちは、ミィです。私は、第一子を出産後、重い産後うつを患いました。

産後1ケ月からうつ病の症状は出ていましたが、初めて受診したメンタルクリニックで「育児が苦手なだけ」と誤診されてしまい、そのまま放置。産後99日、発狂状態となり、メンタルクリニックを緊急受診しました。

今回は、私が初めて「産後うつ」と診断されたときのお話です。

 

うつ病のチェックシート

母にメンタルクリニックに連れて行かれたとき、私はすでに限界を超えていました。

集中力がなくなり、テレビも見れない。さっきやったことを忘れる。簡単な家事もできない。聴覚が狂って音がうるさい。夜は眠れずにソワソワして歩き回る。不安で幻覚のようなものまで見る。頭痛と倦怠感でフラフラ。自分の子どもが怖くてたまらない。死にたくて気が狂いそう・・・

 



もはや「死」を願うこと以外、何もできなくなっていました。

このメンタルクリニックは、診察前に、困っている症状や学歴や職業、うつ病のチェックシートを記入する必要がありました。

チェックシートは、質問に「はい」または「いいえ」で答えるものでした。

⑴1日のうち、長時間、気分が沈んでいる。

⑵前に楽しかったことが、何も楽しめない。
⑶寝付けない、夜中や早朝に目が覚める。
⑷つらい、悲しい、いらいらする。
⑸疲れが取れない。
⑹自分は価値がないと思う。
⑺これまでと同じように仕事ができない。
⑻この世から消えてしまいたい。

当然ながら、私の答えは「はい」でした。

隣にいた母は、「こんなこと書いたら重症のうつ病みたいじゃない。これまでと同じように仕事できてるよ。ちゃんとやってるよ。『いいえ』に変えたら?」と言うのです。

私は「できてないんだよ」と言って、「はい」のままにしておくことにしました。

私は頭が回らず家事の段取りも分からなかったのに、外見からはちゃんとやることをやってるように見えてしまったので、そんな風に言ったのだと思います。娘がうつ病だと認めたくない気持ちもあったかもしれません。

 

「産後うつ」診断

診察室に呼ばれて中に入ってみると、担当の先生はとても優しそうな男の先生でした。

最初は「○○高校出身か。優秀なんですね。」とか、世間話のようなことから始まり、私の緊張を解こうとしてくれました。

私は、全く表情のない能面のような顔で、愛想笑いをする余力もありませんでしたが。

本題に入ると先生は、ズバリ診断名を伝えて来ました。

 
 

「産後うつで間違いないと思います。」

「産後はホルモンバランスも変わるし、普通でいられる方が珍しいです。みんな多かれ少なかれおかしくなるものですよ。」

処方されたお薬は、リフレックスという抗うつ剤。

私は「抗うつ剤は飲みたくないです。パニックになったりするんですよね?依存性もあるんですよね?母乳もやめたくないです。漢方でお願いします。」

と言って、この期に及んで、抗うつ剤を飲みたがらず、なんだかんだと抵抗しました。

先生は「漢方は効かないですよ。妊婦さんやお年寄りも睡眠薬代わりに飲んでいる安全なお薬ですし、パニックになったりしませんよ。依存性もありません。母乳も続けて大丈夫ですよ。」とやんわりと説得して来ました。

私はどうしたらいいかサッパリ分からなくなり、同じような話をぐるぐる繰り返しては収集が着かない状態になってしまいました。

精神科ではよくあることなのでしょうね。

先生は「よし!ここでずっと話していても仕方ないですから。誰かが主導権を握らないと。とりあえず半錠出しておくので、もし飲みたくなくなったらやめちゃっていいですから!」

診察はそこで終わり、また一週間後に受診することになりました。

このときに処方された薬は、リフレックス1/2錠(抗うつ剤)とデパス(抗不安薬)でした。

半信半疑でリフレックスを飲む

私は、まだ半信半疑で、「本当に私はうつ病なの?」と疑っていました。

夜に薬を飲むときも、頭がおかしくなるんじゃないかと不安で、なかなか飲むことができませんでした。

父が「医者が出した薬なんだから大丈夫だよ。飲んだ方がいいよ。」と言うので、清水の舞台から飛び降りる覚悟でやっと飲むことができたというありさま。

もちろん、薬で頭がおかしくなることはなかったですよ。

それどころが、2週間後には劇的な効果が現れ、回復の道を歩き出すことになります。

産後うつだと診断してくれた先生がいなければ、私は一体どうなっていたのでしょうか。想像するのも怖いですね。

私は、必要な医療に辿り着くというスタートラインに立つことはできました。
 
でも、本当の戦いはこれから。

自分がうつ病だと受け入れ、先の見えない治療が始まったのです。

 

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