こんにちは、ミィです。私は第一子を出産後に、産後うつ病になり、産後3カ月から精神科に入院しました。3カ月間の入院生活を経て、産後9カ月で寛解しています。
今回は、「育児に向いていない」と私が悩んでいた経験や、育児に一番大事なことって何なのか?ということについて、書いていきます。
目次
産後うつで我が子恐怖症なのに、「育児が苦手」と誤診。
私は産後うつ病になってから、我が子恐怖症に陥っていました。詳しくは、我が子恐怖症についてはこちらの記事を読んでいたただきたいのですが、簡単に言うと・・・
・我が子に対して恐怖心を感じる。
・我が子が寝ている周りを大汗をかきながらそわそわ歩き回ってしまう。
・我が子の泣き叫ぶ声が断末魔の叫びに聞こえる。
・我が子が精神病に見える。
・我が子と二人きりになると不安で気が狂いそうになる。(二人きりになれない)
・普通のお母さんならやってることなのに、自分は異常な母だと責める。
・産まなければよかったと思う。
・とにかく育児が苦痛で死にたい。
これらの症状が、うつが良くなる産後半年まで続きました。
こんな病的な症状があるにもかかわらず、私は産後1ケ月頃に受診したメンタルクリニックで、「あなたは育児が苦手なだけ」と診断されてしまいました。うつ病だと見抜れず、育児が苦手なのだと、医師の口から言われてしまったのです。
たしかに、私はずっと仕事をしていて、子どもと接する機会もなく、他の女の子のように「赤ちゃんかわいい!」とキャッキャッすることもなく、いいお母さんになりそうもないタイプ。育児が苦手だと言われても、納得するものがありました。
産後うつ病だと診断された後も、「育児に向いてないから、我が子恐怖症になった」と思い悩んでいました。
育児で一番大事なことは、母親の心が安定していること。
主治医の向井先生の診察では、入院してからずっと育児の悩みを相談して来ました。が、言われたことが頭に入って来ないというか。耳に入って来ないというか。うまく消化できていなかったんですね。
入院して1ケ月もすると、私の思考力はそれなりに回復し、向井先生の言葉がスッと頭に入ってくるようになっていました。
先生の診察でとても印象に残っている診察があります。内容はこんな感じでした。
私
「私は精神科医に『あなたは育児が苦手なだけ。母親は眠れなくて当たり前。』と言われました。義母にも、母にも、夫にも『母親ならやってる』と怒られ、辛い思いをしました。3カ月半頑張って、『死ななければ』と思うようになり、やっと産後うつ病だと診断されました。」
向井先生
「育児っていうのは、本当に大変なことですよ。おばあちゃんたちはみんな大変だったことは忘れて、可愛かったことばかり覚えているものです。今まではよく分かるものが相手でした。育児は、分けがわからんものが相手です。マニュアルもありません。今まであなたが知らなかった世界だというだけですよ。よく病院にたどり着いたね。あなたはもっと休んだ方がいい。今は良くなってきていると実感しているだけで十分です。」
私
「私は、育児ができるようになりますか?我が子と二人きりになれる日が来ますか?」
向井先生
「二人きりになれる日は来ます。けど、退院する2カ月後は、数時間二人でいることができれば十分です。子どもがどう育つかなんて分かりません。一番大事なことは母親の心が安定していることです。」
私の幸せが、子どもの幸せにつながると思えた。
このとき、私の心にズシッと来るものがありました。
「育児で一番大事なことは、母親の心の安定」
私は今までこんな風に考えたことなどありませんでした。
私が周囲から言われてきたことは、今思い返してみても苦しい言葉ばかり。
「母親としての覚悟がない。」
「母親ならみんなやっていることだ。」
「母親なら眠れなくて当たり前だ。4時間も眠れれば恩の字だ。」
「母親になったら、自分は捨てろ。」
「母親は特別な存在だから、子どもとずっと一緒にいるべきだ。」
「産んだならやるしかないでしょ。」
「苦労して育ててこそ子どもはかわいい。」
私は、「母親になったのだから、自分がしっかりやらなくてはならない。みんなやってるのにちゃんとできない自分は母親として失格だ。眠れなくても、もっと辛抱しなければ。子どもと一緒にいなければ。」と思っていました。
すべて、自分のふがいなさが悪いと思っていました。
私は母親になったとたん、一人の人間から、「母親」になってしまっていました。
「母親」は、出産したボロボロの身体でも眠る時間もなく、24時間休むことなく子どものお世話をし、どんなに辛くても逃げ出さず、自分という一人の人間でいることも許されない。
でも、それは全ての「母親」が当たり前にやっていることだ。子どものために身を捧げることは喜びのはずだ。かわいくてたまらないはずだ。なぜ育児ができないんだ。・・・みんながそう言ってるように思っていました。
向井先生の言葉が、なぜズシリと来たかと言うと、「自分という一人の人間を大事にしていいんだ」と、気付けたからです。
私自身がどれほどボロボロでも、子どものために尽くすべきだと思っていましたが、それは違う。私が元気で、幸せでいることが、子どもの幸せでもある。そう思えました。
育児に向いてない?自分に向いている育児をすればいい。
なぜ私は「育児が苦手だ」という烙印を押されなければならなかったんでしょうか。そもそも、「育児に向いてる」って、どういうことなんでしょうか。
私の子どもはまだ赤ちゃんなので、子どもが泣いたら、泣いている原因を探り当て、子どもの要求を即座に満たしてあげ、子どもとずっと二人きりでいても楽しくてたまらないような人が、育児に向いてるというのでしょうか。
子どもがもっと大きくなったら、求められる能力はまた違って来るのでしょうか。ひたすら自己犠牲を厭わず、子どものために尽くせることなのでしょうか。
「育児とはかくあるべき」という固定観念があって、それができないことを育児に向いていないと言っているだけだと思います。
⇒ つぎの記事 今辛くても、うつを治そうとする気持ちを諦めないで欲しい。