⑭ 発狂からの自殺未遂、そして入院編

発狂。そして精神科を緊急受診した日のこと。

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こんにちは、ミィです。私は、出産後に重い産後うつ病を患いました。

産後1ケ月から不眠などの異変はありましたが、初めて行ったメンタルクリニックで「育児が苦手なだけで、うつではない。」と誤診されてしまい、症状はどんどん悪化・・・。

産後3カ月には、希死念慮(死ななければならないと思う気持ち)に襲われ、自殺を考える緊急事態に陥っていました。

 

産後98日のうつの症状

こちらは産後98日の育児記録です。もはや育児記録ではなく、デスノートと化しています。

文字もまともに書けず、自分に起こっていることを殴り書きしてあります。

育児記録98日

・頭が鉛のように重い(身体症状)
・テレビが見れない(認知機能の低下)
・自殺のことばかり考える(希死念慮)
・夜眠れずにいてもたってもいられなくて歩き回ってしまう(不眠と希死念慮)
・何も集中できず段取りが分からない(認知機能の低下)
・文字が読めない(認知機能の低下)
・スーパーの中を歩くだけで音がうるさくて怖い(聴覚過敏)
・何もしないでいられずに歩き回ってしまう(焦燥感)

これだけのことが書いてあるノートを実家のリビングに置いておいても、両親と夫は、私が普通に育児しているように見えたので、異変に気付かなかったと言います。

私はギリギリの状態なのに、精一杯普通に見えるように振る舞っていたからだと思います。

産後99日、ついに発狂

この記録を書いた翌日、産後99日。実家に帰って1ヶ月ほど経った頃、ついに私は発狂状態になりました。

その日も私は夜中一睡もできずにずっと家の中をウロウロしていました。

朝になって両親が起き出した頃、私は大ちゃん(息子)を抱っこしたまま歩き回り、

「死にたい!じっとしていられない!」と大騒ぎし始めたのです。

両親はあっけに取られました。両親からしてみれば、「昨日まで普通だったのに、突然娘がおかしくなった。」と感じたのでしょう。

私としては、ギリギリまで耐え抜いて、希死念慮と焦燥感が限界を超えた結果の発狂でした。

そわそわしていてもたってもいられず、じっと座っていることもできず、どうしようもなくて、大ちゃんを抱っこしたまま歩き回っていたのでした。

両親は私を落ち着かせようと、「大ちゃんを抱っこしてあげるから!」と言ってきましたが、私は大ちゃんを渡そうとせず、ただただ大ちゃんを抱っこして歩き回り続けました。

両親に大ちゃんを持っていかれると、手持ち無沙汰が耐えきれず、シンクにあった洗い物を始めるという奇妙な行動にまで出ました。

あまりにも死にたい!!お願いだから殺して!!!

実際には叫んではいなかったと思いますが、錯乱状態の中、本気で願いました。

 

父の説得でメンタルクリニック受診

その日は、たまたま父が有給休暇を取っていたことが幸いしました。

父が「もうダメだ」と判断し、急いでインターネットで産後うつのことを調べてくれ、「専門医に診てみらわないとダメだ。」と言いました。

精神病院やメンタルクリニックに電話して、急きょ診察してくれるメンタルクリニックを見つけてくれました。

一般的に、メンタルクリニックは予約制で、電話した当日に診てもらえることは難しいのですが、

父が「娘が朝から死にたい!死にたい!と大騒ぎしてるので、どうしても今日診察してください!!」と切迫した様子で話してくれたおかげで、特別にその日のうちに診察してもらえることになったのです。本当にありがたいことでした。

しかし、私は「精神科に行ったら薬漬けにされておしまいだ」と思い込んでおり、「こわい、行きたくない」と渋りました。

このときの私は、世界の何もかもが恐ろしいものに見え、病院に行くことも怖くてたまらず、自分では何も決められない状態だったのです。

父は「産後うつは専門医に診てもらった方がいいとインターネットに書いてあるよ。診てもらった方がいいよ。」と説得してくれ、私は言われるままにメンタルクリニックに行くことになりました。

このとき、産後99日。

産後すぐに重いマタニティーブルーに襲われ、3カ月もの間、眠ることもできず、地獄のうつの世界をあてもなく彷徨っていた・・・

自分が病気だと気付かず、家族からも気付いてもらえず、「母親としての覚悟がない」などと、育児の姿勢を批判され、自分を責め続けて来た・・・

たった99日?

いいえ。

うつの99日はその10倍もの長い時間に感じられました。死ぬことよりも苦しい10年間を私はひとりぼっちで耐えて来た。

ここで私はやっと精神科にたどり着くことができました。もっと早く精神科にたどり着いていたらと思うと、未だに悔しくて泣けます。

 

なぜもっと早く精神科にたどり着けなかったのか?

このとき私はやっと本気で「助けて」が言えたのだと思います。もう本当に限界を超えたところでやっと。

私はどんなに辛くても「負けたくない」という思いで耐え抜いてしまうところがあります。その我慢強さが仇となりました。

私なりにSOSは出していたつもりですが、伝わりませんでした。

「母親としての覚悟がない」という言葉は、夫や産後1ケ月に受診したメンタルクリニックの医師からも言われました。

母や義母も、私の母親としての姿勢に問題があると思ってしまい、私を叱咤激励しました。(と、私は感じました。)

自分が普通に育児をこなせていないことは、自分自身が一番分かっているので、申し訳なくて返す言葉もなく、本当に辛かったです。

私は母親として、育児をしなければならない、育児がしたいと思っていたのに。

大ちゃんのことが怖くて二人きりになれない(我が子恐怖症)ために、普通のお母さんのように当たり前に育児ができなかった。常に家族の誰かに近くにいてもらわなければならなかった。

 

自分は家族を巻き込んで迷惑をかけてしまう最低な母親だと思っていました。

もっと早く、もっと大きな声で「助けて」と叫ぶことはできなかったの?

タラレバの話ですが、最初に行ったメンタルクリニックで「産後うつですよ」と診断されていれば、ここまで我慢することもなかったでしょう。

精神科医から「母親としての覚悟をもつように」と叱咤激励されてしまっては、それ
以上「助けて」などと言えませんでした。

すべては自分の母としての覚悟が足りないせいだと思っていたから。

今でも当時のことは、昨日のことのように思い出します。できることなら、過去の自分を助けに行きたい。自分が欲しかった言葉をかけてあげたい。

「あなたは病気だから何も悪くない!病気が治ればちゃんと育児ができるようになるんだよ!」

それにしても、このとき、父がメンタルクリニックに連れて行ってくれなかったら?と思うと、恐ろしいです。父には本当に感謝しなければなりませんね。

さて、次回は、メンタルクリニック受診の話です。

⇒ つぎの記事  産後3カ月「産後うつ」と診断されました。

 

書籍化されました!!

ミィの産後うつブログが本になりました。
ブログに書いた産後うつ体験記や、精神科医のアドバイス、産後うつチェックリストが載っています。