⑭ 発狂からの自殺未遂、そして入院編

母親業から降りるには死ぬしかないと思ったから、自殺を決意した。

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こんにちは、ミィです。私は、第一子を出産後に重い産後うつを患いました。

産後すぐから重いマタニティーブルーに苦しみ、産後3カ月でメンタルクリニックで「うつ病」と診断されました。

抗うつ剤と抗不安薬を処方され、服薬し始めたものの、効果が現れるのは2週間後。それまでの間に、私の意欲は妙な方向に高まってしまったのでした。

そう、自殺する方向に・・・。自殺の話など読みたくないという方はここで読むのをやめてください。

 

赤ちゃんの夜中のミルク問題

私が最初に飲んでいた「リフレックス」というお薬は、一番新しいタイプの抗うつ剤で、睡眠を促す作用もあります。うつ病になったからには、まずは睡眠をとることが大事ですから。

しかし、私には生後3カ月の息子・大ちゃんがいました。

生後3カ月の赤ちゃんはまだまだ睡眠のリズムが整わず、夜中に何度も目を覚ましてミルクを欲しがります。夜中に泣く大ちゃんの面倒は、家族の誰かがやらなくてはなりません。

毎日、夜のミルクを誰がやるかが大きな問題になりました。

私は産後2カ月から里帰りしていたので、夫はアパートにいます。週末に実家に来てくれるとき以外、代わってもらうことはできません。

母は、3カ月間、私のサポートをして疲れきっているだけでなく、腰が悪くて重いものが持てないので、夜の面倒までお願いするなんて、とてもできませんでした。

父は仕事があるにも関わらず、何度か夜中のミルクを全部やってくれたことがありました。そのときは、私は別室で朝までぐっすり眠ることができました。

父は「自分は大丈夫だから、これからも夜中のミルクをやってもいい。」と言ってくれましたが、

私は、夜中のミルクもまともにこなせないなんて、何とも母親失格のような気がして、情けなくて、消え入りたい気持ちになってしまうのでした。

親に迷惑をかけ続けることも耐えがたく、「夜のミルクは私がやる。」と言って、薬を飲みながらも頑張ってしまいました。

それでも、薬の影響で、夜中は眠れないのに朝から昼まで眠ってしまったり、睡眠サイクルがおかしくなってしまいました。

「母親業を降りるには死ぬしかない」という、うつ的思考

正直、私は限界を超えてメンタルクリニックを受診したんです。

でも、育児からは逃げられません。絶対に誰かがやらなくてはなりません。

もし、仕事でうつ病になったなら、休みを取るように言われ、家でひとりで眠っていられると思います。

でも・・・

母親業は、育児は、赤ちゃんがいるかぎり、絶対下りられない。ただでさえ家族を巻き込んで迷惑をかけ、母親としての責任を果たせていない。これ以上迷惑をかけることなどできない。

私はそう思ってしまいました。この視野の狭さこそが、うつ的な思考。

「病気だからできない。代わって。」

そう言えばよかったものを。

うつ病なのに夜中も寝ないで仕事しなくてはならないなんて、どんなブラック企業でもあり得ませんよね。

育児だって、仕事と同じです。病気になったら休めばいい。代わりはいます。

育児なんて、夜のミルクなんて、一時的に誰かに代わってもらえばいいんです。病気を治すためには当然のことと言ってもいいでしょう。

それが、うつに陥ってるときは、そのような発想の転換ができず、選択肢はふたつしか思い浮かびません。

①このまま頑張る。

②無理だから、降りる。(死ぬ)

極端から極端へ。そして、一気に死に飛んでいくのが、うつの思考なのです。

強まる希死念慮と自殺への決意

私は、産後2カ月頃から、うつの症状が悪化し、希死念慮(きしねんりょ)が強まってきました。

「死ななければならない」と思い込み、夜中ずっとスマートフォンで自殺の方法を調べたり、散歩しながら「ここで死のうか、あそこで死のうか」と、一日中自殺のことばかり考えていました。

私の自殺への思いは、「どうやって自殺しようか考えている状態」から進んで、「いざ実行に移そう」という段階に進みました。

“やはりどうしてもこのまま頑張るのは無理だ。もうこれ以上苦しみに耐えられないので、ひとりだけ降りよう。”

私は、ふたりで新婚旅行で海外に行ったことを思い出しました。

あのときは、夫と結婚できた喜びで胸がいっぱいで、未来は希望にあふれていた。こんな幸せなことがあるなんて知らなくて、ずっとこんな幸せが続くのだろうと思っていました。

それなのに。あれから一年足らずで、自分は今、地獄の中にいる。

でも、もう生きることに未練はありませんでした。

結婚式、新婚旅行、自分の子どもの顔まで見ることができたんです。もう死んでも何も後悔はありませんでした。

まったく、異常な精神状態でした。

ノーマルな精神状態ならば、「薬が効いて来たら良くなるかも?」という楽観した気持ちがあるはずですよね。

それどころか、「次の診察で薬を増やされるに違いない。それでも絶対に治らないんだから死のう。」と思ってしまう。

乳飲み子がいる母親ならば、「自分が死んだら子どもが悲しむだろう。」と思いとどまるはずですよね。

しかし、そうならず、「自分のような母親は死んだ方が、大ちゃんにとっても一番いいことだ。やっぱり死ぬべきだ。」と考えてしまう。

理屈ではありません。うつによって脳みそが狂っていたとしか言いようがありません。

私は自殺を決意しました。

自殺は難しい

まず考えたのは、首つり。

私は確実に死にたかったので、絶対に生き残るような真似はしたくありませんでした。

コタツの電気コードで「もやい結び」の練習を繰り返したのですが、これがまったく結べません。

うつで脳の機能が低下し、まともに紐もむすべなくなっていました。紐が結べないなら首つりは絶望的です。

ベルトとスカーフをドアノブに結びつけ、ドアノブ自殺を図ろうとも思いましたが、ドアノブが落ち、寝ている息子を起こしてしまい、全く死ねそうにもありませんでした。

そもそも、首つりは、誰もいないところで実行しなければ、助け出されて生き残ってしまいますから、危険が高すぎます。

それじゃあ、飛び降りだ!と思うのですが、何せ田舎の一軒家です。2階から飛び降りてもねんざ程度で終わるに違いありません。

近くに高い建物はなく、飛び降りはますます難しく感じました。

オーバードーズ(薬の大量服薬)は確実に死ねる方法ではないと思いました。

私が目指すのは、確実に死ぬことです。

死ぬ日にちもしっかり決め、後は実行に移すのみ。なのに、死ねない・・・

死ねない!死ねない!と焦りながら、必死に死のうともがいていました。

テレビで誰かが自殺したニュースを聞くと、「あの人はどうやって死ねたんだろう!なんで私は死ぬこともできない馬鹿なんだ!」と思い、悔しかったのを覚えています。

私は飛び込みを決意しました。

 

⇒ つぎの記事  産後うつで自殺しようとした私が、今伝えたいこと。

 

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