こんにちは、ミィです。私は第一子を出産後に、産後うつ病になり、産後3カ月から精神科に入院しました。3カ月間の入院生活を経て、産後9カ月で寛解しています。
私は「我が子恐怖症」でした。普通なら、可愛いと思える我が子のことが全く可愛いと思えない。それどころか、怖いと感じてしまう症状です。
今回は、私が我が子恐怖症を克服し、初めて我が子を愛おしいと思った日のことを書きます。
自分は育児が苦手だから、我が子を愛せないのかと思っていた。
我が子恐怖症については、何度もブログで言及して来ました。参考記事:我が子恐怖症について
具体的にはこういった症状でした。
・我が子に対して恐怖心を感じる。
・我が子が寝ている周りを大汗をかきながらそわそわ歩き回ってしまう。
・我が子の泣き叫ぶ声が断末魔の叫びに聞こえる。
・我が子が精神病に見える。
・我が子と二人きりになると不安で気が狂いそうになる。(二人きりになれない)
・普通のお母さんならやってることなのに、自分は異常な母だと責める。
・産まなければよかったと思う。
・とにかく育児が苦痛で死にたい。
我が子恐怖症こそが、私の悩みのすべてでした。
なぜ、可愛いはずの息子・大ちゃんのことが愛せないのだろうか?私は、母親としての適性がないのか?産んでしまったことが間違っていたのか?
私は、「育児に向いてないから、我が子を愛せないのだ。」と思い悩んでいました。
家族からも、「どうして自分の子どもが怖いの?」と、理解されず、友だちにも恥ずかしくて言うことができませんでした。
大ちゃんとの再会。初めて我が子が愛おしくて涙が出た。
入院して46日目(産後五カ月)のこと。
私の症状はだいぶ良くなって来たので、主治医の向井先生の許可が降り、私は大ちゃんに会うことになりました。
私の入院中、大ちゃんは義理の実家で大切に育ててもらっていたので、ひとり電車で向かいました。
ちょうど、離乳食が始まる頃です。私は、初めての離乳食をあげるつもりでした。
いっくんからは、「まっさらな気持ちで大ちゃんに接してみて。」と言われ、50日ぶりの再会に、緊張と期待でドキドキ。
義理の実家に着くと、大ちゃんはベッドの中でスヤスヤと寝ていました。
「こんなに可愛かったっけ?大ちゃん?」
寝ている大ちゃんを見ながらポロポロと涙が流れて来ました。
大ちゃんは、起きても泣かず、お目目をぱっちり開けて、スッカリ新生児の頃とは別の顔になっていました。
十倍かゆを3口与えると、ちゃんと口に入れ飲み込みました。
成長した大ちゃんは、「きゃー」と高い声をあげたり、新聞をちぎって遊んだり、おもちゃを握ったり、全く別人になっていました。子どもの成長に本当に驚かされました。
義父も義母も私の訪問を温かい雰囲気で歓迎してくれ、みんなで楽しく離乳食をあげたり、遊んだりして、私は初めて大ちゃんと過ごす時間を楽しいと感じました。
「子育てって、こんなに明るく楽しいもんなんだぁ・・・」
とはいえ、大ちゃんは私のことを全く覚えておらず、人見知りして大泣き。
「早く元気になって、大ちゃんに母として認識してもらわないと!」私は強くそう思いました。
うつが治れば、我が子恐怖症も治る。まずは、自分の療養優先!
このとき、いつの間にか、我が子恐怖症が治っていました。
まだ大ちゃんと二人きりで過ごすことは出来ないものの、「怖い」という感情は消え去り、大ちゃんのことを可愛いと思うことが出来ていました。
我が子を恐ろしく思っていたのは、病気の症状で、私の人格的な問題ではなかった。私はそのことにとても安堵しました。
主治医の向井先生から何度も言われた言葉。
全くその通りで、心の余裕がなく、死に物狂いで育児をしていたときは、我が子を可愛いと思う気持ちなんか全くありませんでした。
うつ病の治療を開始し、ゆっくり療養した後は、心の安定を取り戻したおかげで、我が子を可愛いと思う気持ちを持てるようになり、育児を楽しめるようになったのだと思います。
これから一ヵ月半後(産後半年)に私は退院し、すぐに大ちゃんと二人きりで一日一緒にいることが出来るようになりました。
自分の心身の回復を最優先に考え、しっかりと療養が出来たからだと思います。
入院中に、私の代わりに大ちゃんを育ててくれたいっくんと義理の実家のおかげですね。本当に感謝しています。
うつ編終了&次回予告
さて、長いこと、産後うつのストーリーを振り返って来ました。
実は、今回で、うつ編は終わりです。というのも、この直後に、私はいきなり軽い躁状態になってしまったからです。
前回の記事で、入院40日目で、レクサプロを飲み始めた話を書きましたが、その2週間後あたりから一気にうつが抜け、いきなり躁へ・・・。
というわけで、次回からは、躁転したらこうなった!という記事を書いていきたいと思います。
いやぁ、うつ編は辛く、苦しく、暗い話ばかりで、思いだすのがしんどかった。ときに泣きながら書きました。
辛いなら書かなければいいのですが、私にとっては、これを書くことが過去の自分を救うことでもありました。
本当にありがとうございます。
「負の経験を、正の力に変えて行きたい。」という思いで、これからもブログを更新したいと思います。
躁編もよろしくお願いします。