こんにちは、ミィです。
このブログも、スタートしてから1年を迎えました。
このブログを読んで下さる方も増え、
総訪問者数 21万人!
総ページビュー数 96万PV!
たくさんの感想をいただけるようになり、とても嬉しいです。
ではでは、今回から新企画を始めます。「読者様の産後うつ体験記」です。
「産後うつ」といっても、定義はまちまち。
SNSでやり取りしているうつママさんたちの話を聞くと、症状も、原因も、回復していく経過も、本当に人それぞれ違うんだと感じます。
100人いれば、100通りの「産後うつ」があります。
私の体験は、「産後うつ」の一例に過ぎません。
ということで、これから、ブログ読者様の「産後うつ体験記」を募集して、ブログ記事にアップさせていただければと思っています。
今回ご協力いただいたのは、にこさんです。
にこさんは、もうすぐ1歳になるお子さんのお母さん。
産後2カ月の頃から、ラインやツイッターでやりとりさせてもらってます。
にこさんの旦那様の日記を寄稿していただきました。
にこさん(双極性障害1型・発達障害・愛着障害)の体験記
【出産一日目・大泣き】
妻の実家は、東京。頼れる人もない中での孤独の育児。入院中に妻が大泣きし、一晩ナースステーションで預かってもらった。「母親なのに」と、嫌みを言われたようだ。
出産後間もないのに、なぜ24時間赤ちゃんの面倒をみるのが当然といわれるのか解らなかった。病院という名の産院であれば、妻の体調もしっかり見てもらいたいと思った。
【出産後7日目・我が子恐怖症】
退院後、妻に異変。
「息子と二人きりだと気が狂いそうになる。」と。そういうときは、義理実家に行けと指示をする。
僕の会社の同僚にその話を告げると、「義理実家が近くにあるなら、なんとでもなる。半月出張にいけ」と言われた。違和感を感じつつも、申し訳なさと共に妻子を置いて半月出張にいく。
【出産半月後・うつの始まり】
出張から帰ると愕然とした。あれだけ義理実家にいくのを拒んでいた妻が、毎日のように通っていたのだ。理由は、「二人きりになると怖いから。」だそうだ。
僕の父親のくしゃみや喋り声は人よりも大きい。妻から「聞いてると、頭に響いてガンガンする。腹が立つ」と言われ、「なんて勝手な女だ」とその時は感じた。が、「出産後間もなくだから仕方ない」と自分に言い聞かす。
妻は、全く電話にも出ず、ラインの文字も読めなくなった。あれだけ家事が得意だったのに、食事の支度のやり方がわからなくなってしまった。弁当生活の始まりだった。大好物の鰻のお弁当を買っていったが、全く手を着けずにふらふら歩いていた。
息子はよく寝る方で、夜は一回しかミルクをあげなくて済むので、妻を別の部屋に寝かせ、僕が夜のミルク担当になった。「寝てる間に休め」と言っても、休み方がわからずに、毎日耳栓をしてウロウロして毎日を過ごしていた。
【出産2ヶ月後・「産後うつ」診断】
市の保健師さんが生後二ヶ月でようやく自宅にくる。
妻が、「殺したくなる。自分か息子が死なないと終わらないゲームだ」と泣いていた。
初めてその話を聞いて耳を疑った。正義感の強い、歳の離れた弟の面倒を見て、姪っ子を二歳まで育てたあの妻が。
その後、 息子の様子をみた助産師さんに、息子は鼠径ヘルニアだと告げられる 。妻が一人で息子を連れて大学病院へ。手術が決まる。 一人で決めさせてしまったと思いつつ、 判断能力は戻ってきたんだと安心する。 二泊三日の手術の夜は、僕が全て泊まり、妻を家で一人で休ませた。 これできっと状況が落ち着くと思った。
手術が落ち着いた頃、 今度は市の保健センターの方が、アポなしで家に来たようだ。保育園を進められる。 妻は、なぜ保育園を勧められたのか理解不能だったらしく、母親失格だとぶつぶつつぶやいていた。
息子は平均して17時間は寝るのに、妻は眠れないらしい。ネット通販でデパスとアモバンを買って、こそこそ飲んでいると 告げられて衝撃をうけた。
その後、市の保健師さんから、 産後うつと告げられる。間違いないだろうとの事。 僕は初めて聞く言葉で動揺した。
妻は保健師さんに連れられ精神科へ。「 産後うつではないと認めてもらうために行く」と意気込んでいた。
仕事中に、O先生という先生(主治医)から緊急で電話が入る。「
早いところ入院しなければどちらか死ぬから入院しろ」と告げられ、 会社を早退して自宅に戻る。家に帰ると保健センターの方が、妻を説得していた。 僕は義理実家に説明をしにいく。先生は時間外にも関わらず、ホルモンバランスの話や鬱の症状を細か く話をしてくれた。聴覚過敏、不眠、立派な鬱だと。
その日のうちに投薬が始まる。(スリピリド、 レクサプロ、フェキソフェナジン) ネットで買った薬は先生が預かることになった 。
妻は入院を拒む。「頑張れるから頑張れる!」
と泣きながら話していた。 妻の母に、「子ども一人くらいでなんでそんな風になるの、この嘘つき娘」と言われて、酷く傷ついたようだった。
【出産4ヶ月後・閉鎖病棟へ入院】
投薬治療開始二週間後、またも僕の出張。 薬が合っているのかよく眠れると妻から告げられ、あぁ、 これで出口が見えたと希望が見えた。
出張の
最終日、妻から電話。 息子に触れるのが急に怖くなりクッションやバスタオルで体をガードしながらミルクをあげていると伝えられる。
すぐに僕の母に電話をして家にいってもらうと、そこにはイヤホンで 爆音で音楽を聴きながらミルクをあげている妻がいたそうだ。 哺乳瓶のすう音が頭に響いて仕方がないという。出張が終わればまた持ち直せると思い、昼に帰ると、妻が腕を血だらけにして息子はベランダに放置され泣いていた。冷静にならなくてはと思い、まず 息子を部屋に入れ、妻の手当てをして、O先生に緊急電話をし、 そのまま閉鎖病棟へ入院となった。 このとき息子が生まれてから四ヶ月がたっていた。
妻の入院中、僕の親は働いておらず、 初孫ということもあり、病気を治すのに専念して欲しいからと、昼は息子をみてく れることになった。ありがたかった。幸い、 息子は夜六時に寝ると八時まで起きないので、夜は僕が世話 になることになった。
【「嘘つき鬱」と言う母】
入院して一週間たち、妻の母から僕の母に電話が入る。「鬱というのは神経質で整理整頓が上手な人がなる病。ズボラで適当な妻は、演技をして育児放棄をしてるだけなので騙されないでください。」と。それを聞いた僕の両親は、何が真実で何が嘘かわからなくなってしまった。
O 先生から、僕の両親を招き、説明していただいたが、 理解をえられなかった。 鬱に対しての世の中の偏見がすさまじい事を実感する。
妻の母が、妻の入院先の病院へ抗議の電話をする。「薬付けにして儲けて何が楽しいの、鬱なんて気の持ちようだ。お前ら医者は、金儲けしたいからって適当な判断をするな!」と。
妻は、なぜか自分の母親の前だといつも緊張して、「ごめんなさい。 はい。私が悪かったです。」と告げてしまう癖があり、 今回もそう告げてしまった。 ここからが僕の本当の地獄になる。
毎晩僕の両親から、「鬱は嘘なの?」と攻撃が入る。「信じてくれ。 頼む」とお願いをしても、実の母の言葉はとても強いらしく、妻と義理実家の関係は最悪になっていく。「うそつき鬱 」と妻は言われるようになる。
【出産5ヶ月後・我が子恐怖症を克服】
入院一ヶ月目、妻は息子との再会が許可される。 妻は息子を見て泣いた。可愛い可愛いと泣いていた。
普通にだっこもできるようになっていた。三人でベビーカーで散歩も行けるようになっていた。
あぁ、 病気だから可愛く見えなかったんだ。 妻はやはり病気だったんだと。
妻の容態はぐんぐん回復に向かう。文字も読めるようになり、 電話すれば声も明るい。元気すぎるほど元気だった。O 先生は二日に一度は僕に電話をくれて、説明を欠かさなかった。
入院二ヶ月目の頃、O先生から「必ず保育園に入れること。」 と指示があった。 僕と妻は、通える保育園を懸命に探したが、途中入所ということもあり、全滅。
来年四月に向けて入れるようにしようと、 保育課の方と保健師さんと話し合いを続けてい た。
【出産6ヶ月後・退院。発達障害の診断】
入院二ヶ月目の最終日、妻が突然「退院したい!」と騒ぎだす。 先生からは、「このまま服薬を続けて一週間にいっぺん病院にくる」とい う約束の元、退院が決まった。妻は我が子恐怖症を克服して親バカになっていた。
O先生に呼び出され、妻の薬の管理の話をきく。
妻には、産後うつの他に、幼少期の虐待のせいで愛着障害というものと、軽度の発達障害があると告げられる。種類はLD(学習障害)という、 漢字の読み書きや算数が出来ないものだという。
結婚する前に同じ職場に勤めていたとき、妻のデスクは計算機や漢 字辞典や掛け算の表がかかっていた。僕は、 いわゆる不思議ちゃんな妻が好きだったので、 その説明を受け、納得はできた。
発達障害の人は元々ストレスから鬱になりやすいという説明 もうける。O 先生から「これも個性の一つだから明るく受け止めること。」 と言われる。全力で妻と息子を守ることを決意する。
11月に無事に退院した。
【出産9ヶ月頃・躁転】
四月の入園申し込みを決めて、妻は一人で息子をお風呂 に入れ、寝かしつけ毎日をこなしていた。 以前の笑顔が戻り、本当に安心した。 先生とは密に連絡を取り合い徐々に日常に戻っていた。
だが、二月のある日、妻に異変が訪れる。「政治家になる」と豪語して、裸で踊りながらトイレ掃除を一日中していた。息子はテンションの高い妻に大喜び。 僕の仕事の電話の最中も延々と話しかけてくる。 話しかけるというより叫び続けている。元気になった証拠なのか? なんなんだ?不安で沢山だった。
妻が通院から帰ってきた。それと同時にO先生から電話が入る。 鬱剤をやめて、気分安定剤のエビリファイとデパケン四錠を必 ず飲ませるとのこと。睡眠薬も沢山増えていた。
いわゆる躁状態だと告げられた。直ちにミィさんのブログを読み返す。症状が全く同じだった。 妻も「Twitter仲間からテンション高いって言われた!」 といっていた。 看護婦を突き飛ばし患者を突き飛ばし、ソファーの上で跳ねていたそ うだ。
妻の病状は双極Ⅰ型と言われた。 どうしたらいいかと先生に尋ねると、「とにかく薬を飲ませてください。落ち着かないようであれば入院です。」と告げられる。
まさか自分の妻が・・・と、また暗い気持ちになり、守ってあげられなかった と自分を責めた。 また暗いトンネルにいる気分になったが、O先生から、「困ったらす ぐ俺に電話しろ。」と言われ安心した。 またここからやり直せばいい。 スタートラインは真っ白で、頑張ればいいと自分に言い聞かす。
妻のハイテンションは三週間程続いた。 なぜか八つ当たりをされ、「眠らなくても強靭な肉体を手に入れた。躁 を操れる人間は私だけだ。」 と理解不能なことを言う日々は続いた。今は比較的落ち着いてるみたいだ。
【産後鬱の方へのメッセージ】
女性なら誰でもホルモンバランスがあって、誰でも産後うつになる可能性はある。子育ての経験の有無、子どもが育てやすいか、育てにくいかといったことは 関係ないと思う。
いかに産後、育児に理解をしめして、二人の子どもという責任のもと、会社含めて理解が必要。
女性特有のホルモンバランスを理解していくことがこれからの課題 なんじゃないかな?
入院といわれたときに、強制的にでも入院させておけばよかったと 本当に後悔してる。
両家の理解は本当に大切。
ミィのまとめ
にこさんのケースは、赤ちゃんはよく眠る子でだったのに、病気を発症してしまいました。
旦那様がおっしゃるとおり、ホルモンバランスの変化など、生物学的な原因で病気を発症してしまうこともあるので、誰にでもなるリスクはあるんですよね。
いかに早く発見できるかが大事なんです。
にこさんは、保健師さんが精神科に連れて行ってくれたことで、病気が発見されたことがすごくよかったと思います。
本人は、判断能力がなくなってしまっているので、第三者がいち早く気付いてあげて欲しいですね。
そして、旦那様の目線が、なんと優しいこと!読みながら、感動しました。
ご実家の方が、「嘘つき鬱」などと心ない言葉をかけても、旦那様が最強の味方になってくれているんですね。
同じ双極性なので、私と症状も回復過程もそっくりで、我がことのように思いました。本当に辛く、壮絶な体験を教えていただき、ありがとうございました。
にこさんは、今は、服薬しながら元の生活を取り戻しているとのことで、本当によかったです。
つづく。
【ブログが本になりました】
ミィの体験記のほか、精神科医のアドバイス、産後うつチェックリストが載っています。
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