こんにちは、ミィです。
先日、過去の辛い記憶を思い出して、悲しくて泣いてしまいました。
私にとって一番辛い記憶。それは、我が子がかわいいと思えなかったこと。誰にでも理解されず、自分を責め続けていたのとなのです。
我が子が怖い感情が誰にも理解されなかった苦しみ。
私は、我が子が生後5カ月までかわいいと思えませんでした。
かわいいと思えないというか、存在そのものが恐怖でした。
二人きりになると汗が吹き出し、背中がゾワゾワして震えるような恐怖感を覚え、気が狂いそうでした。
聴覚過敏のために、我が子の泣き声が断末魔の叫びのような恐ろしい声に聞こえただけでなく、
我が子が寝ているときでも、泣いていないときでも、得体のしれない不安感に襲われていました。
具体的に何が怖いのかということではなく、病的な恐怖心でした。
学校でいじめられた中学生が、学校が怖くて不登校になったり、仕事でうつ病になったサラリーマンが会社に行けなくなったりする感覚に近かったように思います。
私は、我が子が生後一カ月頃に、家族に「大ちゃん(息子)が怖い。もう育児ができない。二人きりにしないで。」と訴えました。
しかし、この訴えは、単なる「弱音」だと思われてしまいました。
メンタルクリニックの女医から、「あなたは育児が苦手なだけ。覚悟がない。」と言われました。
言われただけでなく、わざわざ紙に「覚悟」「育児は育自」と書かれ、説教されました。家族もそのように思ってしまいました。
当時の私は、ぐうの音も出ず、ただ黙って小さくなっていました。
やっぱり、私の覚悟が足りないだけなんだ。
やるしかない状況なのは自分が一番分かっていました。
なぜこんなに苦しいのか、なぜ我が子が怖いのか、なぜ育児ができないのか分からず、一人だけ地獄の釜に放り込まれてしまった。
私は、満足に育児もできず、人に迷惑をかけてしまう自分を責め、それ以上何も言えなくなってしまいました。
鬱で考える力がなくなっていて、自分がどれほどの苦しみを味わっているのか、言葉にすることもできませんでした。ただ、耐えていました。
我が子と離れることなど許されないのだと思いこみ、どんなに辛くても息子から離れられず、ミルクをあげたり、おむつを替えたり、沐浴をしました。
もう耐えられない。
そう思ったときに、私は母親から降りるために、自殺を決意したんです。
結局、私は、産後3カ月のときに、別のメンタルクリニックに連れていかれ、「うつ病」という診断をされ、入院することになりました。
入院する前に、私は「大ちゃんのことが嫌い。もう一緒にいたくない。」と泣きました。そのときの私の本心でした。
医師の口から、うつ病という診断を受けてからは、誰一人として私のことを責める人はいませんでした。
でも、私の中では、誰にも理解されなかったときの孤独感や絶望感が心の中から消え去ることはありません。
我が子がかわいいと思えなかったのは、母性が欠落しているからではなく精神疾患のせい。
私は、妊娠中は我が子の誕生を楽しみにしていて、まさかこんなことになるとは思ってもみませんでした。
子育てってきっと大変なんだろうな。
そうは思っても、まさか自分が我が子のことをかわいいと思うことすらできないなんて。
私は、病気のせいでそうなっているとは思わず、自分は育児が苦手なのか、母性が欠落しているのかと悩んでいました。
入院しても大ちゃんのことが頭から離れず、ぐるぐると同じような考えを巡らせていました。
このままずっと大ちゃんと二人きりになることができないかもしれない。この病院を退院した後は、私の行き場はどこにもない。やっぱり死ぬしかない・・・
夫が面会に来て、「退院後に大ちゃんの育児をどうするか」という話が出たときなどは、ひどく不安になり、頭がしびれ、頭が重くなり、吐き気がしてきて、着替えをする気力すらなくなってしまいました。
夫から「大ちゃんが6時間寝るようになった」と喜びのメールが来ても、「私が育ててるときはそんなに寝なかったのに、義母さんが育てるといい子になるんだ。私が育てるより、義母さんに育ててもらった方がずっといいんだ。」と思ってしまい、ますます自分が母親失格のような気になりました。
我が子を受け入れがたく思う反面、気になって仕方なく、我が子の動画を見ては大声で泣いていました。
産後5カ月の頃、鬱状態がマシになり、我が子と再会したときに、やっと我が子がかわいいと思えました。
そのとき、どれだけホッとしたか。
そのとき、私は初めて分かったんです。
我が子がかわいく思えないのは、育児が苦手だからでもなく、母性が欠落していたわけでもなかった。病気のせいだったんだ!
と。
「母性」なんてものは嘘。
私は、自分の子どもがかわいく思えないなんて、自分は異常だとずっと思っていました。
まぁ、私の場合は、子どもがかわいいと思えなかった原因は精神疾患なので、普通ではなかったんですけど。
精神疾患じゃなくても、我が子がかわいいと思えなくなるというのは、よくあることらしいのです。
先日の記事でご紹介した「みんなママのせい?」という本によれば、8割のお母さんが子どもをかわいく思えないときがあるそう。9割のお母さんが子育てをつらく思うときがあるのだそう。
ツイッターを見ると、育児が辛いとつぶやいてるお母さん結構いるんですね。これには驚きました。
フランスの哲学者のバダンテールが書いた「母性の神話」という本があるんですが、1790年代にパリで生まれた2万1千人の赤ちゃんのうち、母親の手で育てられたのはたったの千人にすぎなかったといいます。千人は乳母に育てられ、他は里子に出されたらしいです。
つまり、歴史的に見ても、「母性」なんてものは、絶対的に存在しているものではなかったということです。
育児はきれいごとだけじゃできない、本当に大変なこと。
我が子をかわいいと思える感情は、自然と無尽蔵に湧き出てくるものじゃない。
母親が精神的、肉体的に余裕がなければ、我が子をかわいがる余裕もなくなるもの。
我が子を愛せない母親というのは、世間ではタブー視されており、あってはならないものだと思われています。
「世間」というよりは、何よりも自分自身がそういった母親観にとらわれ、苦しんでいたように思います。
「母親ならば、子どもをかわいく思えて当然だ。育児は喜びのはずだ。子どもがいるなんて幸せなことじゃないか。それ以上何を望むのか。」
自分自身がそういう思ってしまっていました。
苦しみの半分は、「母親とはかくあるべし」と思う、自分の心が作り出していたものなのかもしれません。
今では、育児が辛いとか、かわいく思えないことはなくなりました。正直、愛おしくてたまらん!!のです。
【ブログが本になりました】
ミィの体験記のほか、精神科医のアドバイス、産後うつチェックリストが載っています。
初めましてこんにちは。遡って読ませていただきました。
夫は仕事で家におらず、知らない土地で1人で育児をする毎日の中でどうやって死のうかばかり考えていました。縄に首をかけましたが体重をかけたところで目玉が飛び出しそうになりやめました。
息子も私もノロで動けない時実母に助けてと言いましたが、母親なんだからがんばりなさい、旦那さんに迷惑をかけるなと言われ電話を切られました。私は両親に特に母には今まで1度も助けてなんて言ったことありません。泣きじゃくりながら助けを求めたのに、振り払われました。義母にもみんな乗り越えてきたことなんだからと一瞥されました。
幸い夫に今日はキツイといえば家事をサボらせてもらえるので助かりますが、息子を公園や育児サークルにも連れて行く気力がなく申し訳なく思う毎日です。
私は子供が怖くなったりなどはなかったので、昔からの実母との関係性の中での今の心持ちだと思います。私には帰る場所も頼る場所もありません。いつかこれがムスコに影響するのではないかと不安です。
すみません、なにが言いたかったのかわからなくなりましたが、みんなができてるからって思って欲しくないですよね。苦しみや辛さは個々で違うとは思うので。
>かおるさん
コメントありがとうございます。お辛い経験をされましたね(>_<) 助けを求めてるのに「母親なんだからやりなさい」と叱責されるのは本当に辛いですね。限界だから助けを求めてるのに、もっと頑張れと言われればどこにも逃げ場がありませんよね。 「みんなやってることだ」と言うのが一番おかしい。仕事だってみんなやってることかもしれないけど、鬱になって休職する人はいるのに。母親だって、休みたいときあります。 かおるさんが死ななくてよかったです。
私も躁鬱です。
学生時代からです。
私も子供と二人きりでいるのが怖い時期がありました。
大きくなるにつれ、それはよくなりましたが、気分の浮き沈みがまだまだあり、
なかなか安定せず、なんとか落ち着いた状態になりたいです。
ミィさんは、鬱になるときは、今でもありますか?
また、もしあるなら、そういう時はどう過ごしていますか❓
>うつママさんへ
こんにちは。私は産後9ヶ月で寛解状態になってからというもの、気分は安定してると思います。情緒不安定になっても、正常の範囲内かなぁと思ってます。日々、頑張りすぎない、ストレスをためないように生活してます。
ありがとうございます!
頑張りすぎないのは、本当に大事ですね。
適度に力を抜いて楽しく過ごしていきたいです。これからも、ブログ楽しみにしています(o^O^o)