㉑ 読者様の体験記

【読者様の体験記】三度のうつ発症と不妊治療を乗り越え、二児の母となったリベンジ体験記。

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こんにちは、ミィです。

「産後うつ」のリアルを知ってほしい!

今回も、読者の方の産後うつ体験記をご紹介します。

記事を書いていただいたのは、スカイドリームさんです。スカイドリームさんは、現在、10歳と2歳9カ月の男の子のお母さんです。産後うつ界の大先輩で、日ごろからたくさんのアドバイスをいただいてます。

それではどうぞ。






スカイドリームさん(うつ病、強迫性障害)の体験記


1 診断名



うつ病、強迫性障害


2 原因

【遺伝的要素】

父方の家系は全員何らかの精神疾患を発症
してました。


妹は自閉症(アスペルガー症候群)、父がうつ病で自殺した後、母もパニック障害や眩暈耳鳴りなどの不定愁訴を発症。

父方の親戚に、産後うつ→双極性障害という人がいる。

【育った環境による考え方の歪み】

妹ばかりが気遣ってもらえる→自分は損してる。


祖母が恐怖の家庭だった→ご機嫌取り優先。

小中学校時代に計7年間イジメにあうが周りは知らん顔→人間不信。

高校では明るく振る舞い友達も沢山できる→自分の気持ちより嫌われない事が優先。

父の自殺の第一発見者になる→自殺現場をみたせいなのか、心に蓋をしたようで、その後、人の死に対して無感情になってしまう。

専門学校は好きな事しかしなかった最高の日々でしたが、DV夫と結婚、スピード離婚という失敗→DVはトラウマ。

復学後、バツイチ体験を笑い話にしたり、自暴自棄になり短期間の恋愛を繰り返す→モテ期到来と思って調子にのり軽い躁状態だったのかも??

社会人になると原因不明の体調不良に悩まされる日が増える→責任を負うという事に適応できず、もしかしたら仮面うつっぽかったのかも。

3 経緯

【2002年:再婚】

社会人の時に、今までの自分をすべて知って理解してくれた人と遠恋の末、2度目の結婚。



【2004年:第1子妊娠】

妊娠した途端に心配症に。


初期は悪阻が酷くて入院し、結局産む前日まで続いた。

後期から子宮口を針で刺されてるような鋭い痛みに不規則に襲われるようになり、1日1~2時間しか眠れない日を過ごす。

【2005年:第1子出産】

検診で1週間は産まれないと言われた日の夜中に腹痛で目覚めるが、下痢と勘違い。しばらくして陣痛?と思い時間を計ると1~
2分間隔で慌てて病院に連絡。


「立派な陣痛ですが子宮口が0センチ」と言われ、その後も子宮口がなかなか開かず、1分間隔の陣痛がどんどん痛くなり続ける事10時間…!

その間泣く叫ぶ暴れるでイキミ逃しなんぞ一切できず。

分娩台で本気でイキミ出すと、何故か痛みを感じなくなり、静かにイキミ続ける事3時間。

最後は腹を押されてやっと産まれました。

可愛いとか感動より、やっと陣痛から解放されて助かった~~という方が大きかった。リアルに「産んだど~~」と獲ったど~~みたいに言っていたw

初産なのに後陣痛が強烈で唸り声が出る始末で一睡も出来ず、翌日診察してもらうと、4人位産んだ人の子宮の戻り方だと言われる


そして同時に母乳も噴射し始める。
要はホルモンが人より急激に変化したんだと思います。

そのせいで入院中から情緒不安定や焦燥などに襲われ、急遽産後の手伝いに親を呼ぶ事にした。
それでも日に日に症状は悪化。

【産後うつ発症時の症状】

理由の分からない絶望、焦燥、憂鬱感。

人生の何が楽しいのか分からず全て無意味に思える。
眠いのに眠れない。
聴覚過敏、テレビが見れない。
赤ちゃんがいつ泣くか常に緊張。
赤ちゃんを虐待死させると思い込む。後に強迫性障害の加害恐怖という症状だったと判明。
「自分は異常者だから赤ちゃんと2人きりにならないように見張っててほしい」と周りに言う。
悪阻に似た体調不良。片頭痛。
情緒不安定でパニックになり泣き叫ぶ。
一刻も早くこの地獄から解放されたいと願う。

★これらの辛さを未経験者にわかってもらうために例えるなら、健常者の精神的に辛い状態を生理痛レベルとしたら、産後うつの精神的な辛さは陣痛レベル。

すぐ病院に行ったが、最初の病院では私のパニックぶりがウザがられ、強い薬を出される。
母乳NGのため、助産師さんに母乳が止まるマッサージを受けてから服薬するも、飲んでから24時間意識が殆どない状態になり、恐怖を覚える。

別の病院に行き、産後うつと診断されて抗鬱剤と安定剤などを出されるが焦燥感と加害恐怖がどんどん悪化。

親も実家に帰ってしまい乳児院のショートステイを利用して休養するも、改善せずパニックも酷くなり、乳児院は入所という形に変更。私は入院する事に。

最初の入院先では話をあまり聞いてくれず、薬だけどんどん増え、副作用なのか突然失神する事もあり、危機感を感じる。

転院した病院で産後うつだけでなく強迫性障害を併発している事が判明。


アナフラニールという抗鬱剤に変更した所、焦燥感が楽になってきて作業療法に参加したりしてるうちに他の症状も少しずつ良くなっていき4ヶ月後に退院できた。

【2006年:夫が双極性障害を発症→現在進行形】

退院しても子供はすぐには返してもらえない事が判明した。リハビリが必要だったし、頼れる親族が遠方で手助けがゼロだったので。そのショックで夫が燃え尽き症候群からのうつ病を発症。


【夫婦ともに自宅療養】

夫は休職満了解雇となる。
私は自力で育児ができてないという事に悩み始め、1人目を引き取る前なのに2人目でリベンジしたいという気持ちがドンドン強くなっていく。


夫の方は回復したと思いきや躁転して双極性障害と判明。

飲酒量が増え、金銭感覚が麻痺し、会社を興こしたいと言ってセミナーなどに参加するように。


本人に躁状態という自覚はなく、それらを少しでも指摘すると激怒して不機嫌になって大変でした。

【2007年:自宅育児復帰から保育園】

そんなこんなでお互いが足を引っ張り合ってしまう状態が続いたが、子供は2歳の誕生日に引き取れた。

私の精神症状は落ち着いたものの機能性胃腸症の症状が続いていてしんどい日々。


体調の限界を感じ3歳から保育園を利用する事に。

保育園を利用する事で楽にはなったが、自力で育児ができてないという思いが強くなりリベンジ欲がフツフツと。
その考えで気が狂いそうになっていったので仕事をする事に。

【2010年:仕事開始、産後うつの寛解と断薬】

働き始めたことで悩む時間が減り、産後うつは寛解する事ができました。


が、強迫性障害の拘り部分が抜けずリベンジ欲だけは暇さえあればフツフツと。

夫は反対していたが、気が変わった時の為に、いつでも妊娠できるように断薬を試みる。

薬を減らすと機能性胃腸症の症状が悪化して1日中吐いてる状態で、なかなか進まず、完全に0になるまで3年かかりました。

ちょうど機能性胃腸症を見抜いてくれた医者が処方してくれた漢方が効いて、体調も良くなってきていた頃に、夫から2人目欲しいと言われ気分は一気に天国に♪

【2011年:2人目妊活→うつ病再発→休職】

1人目同様に、すぐ妊娠すると思いきや、そうはいかず、たった数ヶ月で焦って不妊治療を開始。


最初は高温期にデュファストンというホルモン剤を飲むというものでしたが、これが1周期飲んだだけで副作用の抑うつ状態が出て一気に精神的に陣痛レベルの辛さに達し…鬱病再発し、仕事も手につかず休職する事に。

症状は子供が5~6歳になってたので、子供に対するものは少なかったが、不安、焦燥、絶望、憂鬱、不眠、パニック、情緒不安定、体調不良、興味喪失、無気力などが、もれなく陣痛レベルの辛さで一気にやってきた。

この時はショックでした。断薬してから半年ほどしか経ってなかったのです。

初めてのウツは酷かったけど、治ったら楽になるという希望があったのが唯一の救いだった。


今回の鬱状態が治ったとしても、一生いつ再発するか怯えて暮らさないといけない。一生完治はないんだと絶望して人生初の自殺願望が。

しかし、リベンジ欲に燃えていたおかげ?で死んだら後悔すると思い直した。断薬までの道のりを考えると妊娠が遠のくと思い、服薬ではなく認知行動療法のみで治療する事に。


幸い酷い期間は3ヶ月で終わったが当時は永遠に感じた。

【不育症判明】

鬱がマシになった頃に妊娠。しかし、流産。その後も3ヶ月おきに妊娠流産を3回繰り返し不育症という事が判明。

原因はホルモン値が約50歳で卵子が殆ど残っていないことと、血液凝固異常というもの。


卵子の数はどうにもならないが、血液凝固異常はバイアスピリンという薬で治療できるということに。

医者は卵子の数を気にしていて体外受精を進めていたが、体外受精にはホルモン剤はかかせないものなので再発が怖く踏み切れなかった。


しかし、卵子が無くなったら妊娠不可能になるというのも怖かった。

その頃は育児のリベンジをしない限りウツは治らないと思い込んでいたため採卵の予約を入れた。

【2012年:第2子妊娠中】

採卵予約の数日前に妊娠判明というサプライズ。


正直子供ができた喜びより、リベンジ欲が満たされた喜びの方が大きかった。病的ですね。。

バイアスピリンのおかげで流産もせず後期に入り、1人目同様に子宮口の激痛に悩まされる毎日でしたが、バイアスピリンは卒業し、無事に臨月を迎えた。

そんな矢先にバイアスピリンをやめたことで血栓が出来て脳梗塞になりかけた。


視野が欠けて呂律が回らなくなり緊急搬送されて入院。

もし臍の緒に詰まっていたら胎児の命が危険だったということである。

そのまま管理入院となり、毎日NSTで心音などを確認していた。

ここまできて子供を失うなんて絶対に嫌なので早く産みたかったが、病院はギリギリまで待つ方針だったようです。

入院中は胎動のない時間が少しでもあると死んだんじゃないかと不安で、お腹を撫でたり話しかけて、動くのを確認せずにはいられず、寝ている間に何かあったらと思うとぐっすり眠る事もできなかった

NSTのデータは教科書に載せたいような状態だったようで胎児は超元気いっぱいに活動していたが、いつ血栓が詰まるか分からない恐怖に耐えられず毎日泣いていた。

【2013年:第2子出産】

2人目は楽と聞いていたのに1人目と同じく子宮口は1時間に1センチずつしか開かず、前半はソフロロジーの呼吸法で静かに耐えましたが後半は泣く叫ぶ暴れるのオンパレード_| ̄|○


9時間後にやっとイキめるようになると1人目同様に痛みが減り、静かにイキミまくる。

ここでやっと2人目の恩恵がw
イキむ時間は1時間で済みました♪

子供が大きかったので出血が多かっため、産んでから子宮を収縮させるために促進剤点滴されたのだが、これが地獄!!


いきみたくならないだけで陣痛ピーク同等の激痛が一晩中続き一睡も出来ず、波が来るたびに痛い痛いと泣きながら呟いてました。。

幸い入院中には情緒不安定にはあまりならず楽しく過ごせました。


ただ、静かに産むつもりが経産婦なのに取り乱した事に対する悔しい気持ちは長い事引きずってしまう。

【育児開始】

再発予防のため、1ヶ月は母に手助けに来てもらい、更に半年は実家に帰って手伝ってもらう事になっていた。

の子が半年だけ転校する事になるので、退院後すぐに
手続きに走るという毎日で身体を休める時間はなかった。


ただ、物理的に1人の時間がある事で、多少の情緒不安定はあったものの病的な感じはなく安定していた。

ホルモン変動に打ち勝った!!と思っていた。

【突然の完母】

2人目は母乳で育ててみたいという願望はあったが、混合希望だった

それが乳腺炎で見てもらった助産師に「いいオッパイだし大量に出てる!!赤ちゃんの体重も増えすぎのようなので母乳だけで十分。ミルクを中止にしないと母乳が余って乳腺炎を繰り返すよ」と言われ、突然のミルク中止。

混合と比べて授乳回数は倍に。もちろん母乳は代わってもらうことは不可能なので更に休めない日々。


元々寝ない子みたいで、昼間は殆ど寝ず一度に1~2時間寝れば良い方でしたが、夜は1~2回起きる程度なので夜になるとほっとしてました。

【実家に引越し長期滞在→産後うつ再発→退職】

実家に着いた途端に抑うつ症状が襲ってきました。産後鬱というより引っ越し鬱という感じだったかもしれないです。
この頃はまだ精神的に前駆陣痛レベルの辛さでした。


育児を少しでも手伝ってもらうとリベンジが果たせてないからダメだという強迫観念。

再発してしまったのかもという恐怖。

さっさとミルクにして休めば良かったのだが、誰の力も借りずにできてる母乳を休むというのはリベンジ欲に反する事で怖くてできなかった。

そして本格的に再発。

もれなく陣痛MAXレベルの辛さ(いつもこの例えでごめんなさいw)で襲ってくる数々の抑うつ症状や体調不良。

せっかく念願の2人目を授かれたのに満足に育児できず、母乳以外何ひとつ自力でできない。


何をしていても負の感情しかない。再発を繰り返して一生苦しむ人生なら死んだ方がマシだ。

育児がしたくて産んだのに育児が辛くて逃げ出したい矛盾した気持ちが許せずに苦しむ。

親に殺してほしいと懇願して親を泣かせる。

日に日に悪化し入院。

一瞬楽になるが、育児から解放されて楽になる自分が許せない。長く入院してるとリベンジがますます遠のくという恐怖から5日で退院。

週1回の本格的な認知行動療法をやる事に。

生後3ヶ月半くらいから保育園を利用。

母乳で慣れてしまったのでパイを求めて泣き喚く我が子は可哀想でしたが、何とか保育園ではミルクを飲んでくれるようになりました。

それから2ヶ月、徐々に回復期に突入していきました。

仕事は1年後に復帰する予定でしたが、戻る保証がないと言われ、育休は取れず解雇されてしまいました。

【2014年4月から:自宅に戻り保育園&ヘルパー利用→現在継続中】

自宅に戻った後は、病気理由で認可保育園に入園。


同時にヘルパー登録もしました。精神的に落ち着いても体調が戻らず、送迎をヘルパーさんにお願いする日もありました。

とにかく頭痛と吐き気が酷く、それにより何もできなくなる状況に落ち込みました。

【8ヶ月から始まった夜間頻回授乳→現在進行形。。】

今まで夜は1~2回の授乳だったのが、寝返りをうつ度に起きては母乳を吸わないと寝ないようになり、夜間授乳が一気に5~6回に増えました。


鬱に点滴の強制睡眠不足。

体調不良も限界になり、妊婦授乳婦OKというトリプタノール(抗鬱剤)を処方してもらう事に。

【2014年10月:運動療法→現在継続中】

運動が鬱に効くという情報を得て、元々運動が好きなのでジムに通う事に。今でも運動療法が一番効果あったと思っています。


もちろん急性期には無理だし、元々運動が好きな人限定かもしれませんが回復期に入ったらオススメです。

無心になれるエアロビクスやダンスは最高です。

だんだん元気になり、リベンジ欲に燃えるなら保育園退園すれば?というのが自然な流れだと思うのですが、これがまた矛盾なのですが、やはり子供とベッタリに耐えらる自信はなく…仕事をする方にシフトしていく事にしました。

【2015年7~11月:就労移行支援】

前回は障害を隠しての一般就労でしたが、障害者という事を受け入れてオープンで働く事に。

まずは就労移行支援というサービスを利用しました。週5で3~4ヶ月通いました。

【2015年12月:就労継続支援A型→現在継続中】

このサービスは一般就労の前段階の職場です。

期限はなく、そのままA型で働き続ける人もいるし、一般就労に就いて卒業していく人もいます。私は色々な事情から基本的にはA型でお世話になる予定です。

働いてるという事で保育園に預ける罪悪感は解消されていきました

【2016年:現在の治療】

通院→月1回の診察とカウンセリング
定期薬→トリプタノール10を1日1錠
頭痛→ロキソニン又はSG顆粒
吐き気→ナウゼリン
運動療法→週1~2回ジムで運動
その他→認知行動療法を含む心理療法をネットなどで調べて実践、数年前から心屋仁之助のブログを読む

4 振り返ってみての今の気持ちなど

どうしても消えない思いが、
やはり赤ちゃん時代の育児のリベンジ欲ですね…


おかしいし贅沢だと分かってるのに、いつか3人目を産んで今度こそ鬱にならずに自力で育児したいと考えてしまう…

でも、これって完璧にできるまで本当にエンドレスで続く悩みで、しかも1人で育児できる人なんてほぼいないわけだから達成できない悩みでもあるんだよね。

頭では分かってるのに心が付いていかない感じですね。

まぁ、もちろん純粋に女の子も欲しいという気持ちもあるんですけど、今の状況(夫婦そろって精神障害者)がよほど好転しない限りは9割方産むことはないでしょう…

といいつつ奇跡的に好転した時のためにと薬は妊婦オッケーのしか飲んでないあたりが往生際が悪いですよね_| ̄|○

今は唯一自力でできてる母乳だけは止めるのが恐怖で本人が卒乳するまで続けようと思う。

仕事は息抜きにもなって楽しい♪
全員何かしらのハンデを持っているので団結力は半端ないです!!

考える時間が少なくなったからか、酷い落ち込みはなくなったが、強迫観念みたいなのがなかなか取れない感じ。

産後鬱って普通の鬱と違うと思うのは、罪悪感や自責の念などが育児に関する事だけなんですよね。

家事ができなくて助けてもらうと純粋にラッキーだと思うのに、育児ができなくて助けてもらうと自分でできてないからダメだと落ち込む。


5 今、辛いママへのメッセージ



産後の精神疾患はホルモンバランスが一番影響してる気がするので、バランスが整えば(もちろん治療した上で)寛解します。


悪化や再発予防の為にもリベンジ欲は程々に…自分にも言い聞かせている事です。

周りに助けてもらいながらの育児でオッケーとする。

普段、実家親戚が頼れない人は保育園やヘルパーさんを利用して、休む時は罪悪感を持たずに堂々と休む。

家族も頑張りすぎない…私達夫婦のように2人とも精神疾患になるとかなり大変です。

過去の後悔や未来の妄想ではなく、今をしっかり見るようにする事…これも自分にも言い聞かせている。


ミィのまとめ

スカイドリームさんの波乱万丈な体験記、たまげました。明るい口調で書いてらっしゃるけど、こんなに壮絶な体験は初めて聞きました。

一人目で産後うつになり、二人目でもまたなったという話はよく聞きますが、不妊治療中のうつと合わせて3回とは。
産後うつのフルコースと言えるのではないでしょうか。1回しかやってない私はまだまだヒヨッコだと思ってしまいました。
さらに、旦那様の双極性障害や脳梗塞などの他の病気まで併発。全てを乗り越えて二人の男の子のお母さんになってるんですからリベンジしてると思います。
これほどの体験をしてる方が、今は復活して、仕事や趣味を謳歌しながら自分らしく生きているのかと思うと勇気もらえますね!
スカイドリームさん、長い体験記を書いていただき、本当にありがとうございました。


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体験記を投稿してくださった方へ、優しいメッセージが私のところへ届いています。ぜひ読んでいただきたいと思い、コメント欄を作りました。コメントはこちらからいただけると嬉しいです。 

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つづく。

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書籍化されました!!

ミィの産後うつブログが本になりました。
ブログに書いた産後うつ体験記や、精神科医のアドバイス、産後うつチェックリストが載っています。

POSTED COMMENT

  1. にこ より:

    ミィちゃん、まず更新お疲れさまでした、じっくり読ませて頂いてとても勉強になりました。様々な苦労を乗り越えてお子さんも旦那さんも皆で頑張ってらっしゃってて読んでいて感動しました。再発。。これは本当に私も怖い。スカイドームさん、これからも応援しております!

  2. ミィ(管理人) より:

    >にこちゃん
    わー!こっちにもコメントありがとう!私もこの体験談を読んで勉強になった。再発リスクがあることもよく分かった。スカイドリームさんは大先輩として色々教えてくれるから本当にありがたい!

  3. すかいどりーむ より:

    私の体験が少しでも皆さんのお役に立てれば嬉しいです。
    素敵なイラストにしてくれて、コメントまで頂けて本当に有り難いです。
    再発は今でも怖いですが、予防をしながら生きていこうと思ってます。

  4. ミィ(管理人) より:

    >スカイドリームさん
    ブログにもコメントありがとうございます!こちらこそ貴重なお時間をさいて、体験談を書いていただき、本当に感謝です。今後とも情報交換よろしくお願いします。

  5. けこ より:

    更新お疲れさまです。
    産後鬱の症状はやはりみんな似ているとは思いますが、なる経緯や背景の環境はそれぞれ違いますね(>_<) スカイドリームさんは、3度もあの辛い体験をしたのですね。。。 それでも、今では2人の子どものお母さん! とても立派に成し遂げていると思います。 本当にすごいです。 私は1人の子どものお母さんだけど、その1人でも一生懸命育てたいと思います!

  6. ミィ(管理人) より:

    >けこさん
    コメントありがとうございます!ホントにスカイドリームさんは大先輩ですよね。3回もあの経験を乗り越えてるなんて、尊敬します。私も頑張ろうって思えますよね。