⑱ 退院から寛解まで

出産から産後うつ寛解までの9カ月を振り返って。

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こんにちは、ミィです。

最近は、「産後うつ」という言葉を聞く機会が多くなりました。今まであまり知られていなかった、産後のメンタルヘルスに注目が集まっているのはとても嬉しいことですね。

「産後うつ」がどんなものだか、生の声をブログに書き始めて1年。今回は、私の産後うつが寛解するまでの9カ月間を振り返ります。 長文ですよ。

出産から産後うつ発症まで。

私が出産したのは2014年の夏でした。

やっとの思いで出産したかと思えば、その夜は興奮状態で一睡もすることができませんでした。

全身筋肉痛、会陰切開の痛み、貧血、後陣痛、腰痛などの体の不調が現れていたのに、全く眠れない。私は、産後すぐに深刻な「不眠」になっていました。

産後1ヶ月は、経験したことのない疲労感の中、1日の睡眠時間は2〜3時間で、必死に新生児におっぱいを与え、オムツを替えたりしていました。

 

1ヶ月後、眠れない日々を過ごすうち、聴覚がおかしくなりました。

 

テレビの音がうるさく感じるようになり、我が子の泣き声が断末魔の叫びのように脳に直撃して来るようになりました。

私は、「我が子恐怖症」になっていました。

かわいい赤ちゃんが、ただの物体のよう。エイリアンのようなものに思え、存在そのものが恐怖なのです。

二人きりになると気が狂いそうで、大量の汗が吹き出し、強烈な焦燥感に襲われては、部屋の中をぐるぐる歩き回ったりするようになってしまいました。

 

周囲に気付かれない産後うつ。

私なりに、SOSを発したつもりです。

 

夫に「子どもと二人きりになるのが怖い。もう育児できない。」と訴えても、「母親としての覚悟がない。母親ならみんなやっていることだよ。」と言われました。

実母からも、「お母さんはみんな眠れなくて当たり前。3カ月になれば眠れるようになるから、それまでの辛抱。」と言われました。

私は、自分の深刻な状況を誰にもきちんと説明することができず、死に物狂いで育児を続けました。

それを見た家族は、「普通にやれている」と判断し、叱咤激励をする言葉をかけてしまったのだと思います。

決死の覚悟で行ったメンタルクリニックでも、女医の先生から

「あなたは育児が苦手なだけよ。1年もすればいいお母さんになれるわよ。」

 

と言われました。精神科医にすら、鬱を発見してもらうことができなかったのです。

こうして、私は、「みんなやってることなのに、どうして私は出来ないのだろう。」と自分を責め、逃げ場をなくして行きました。

 

産後2カ月、壊れていく自分。

産後2カ月から、実家に里帰りしましたが、さらに状態が悪化していきました。

今まで普通にできていたことが、何もできなくなっていく。 本当に「何もかも」できません。気分転換することも。寝ることさえも。

音楽を聴こうとしても、うるさくてイライラして苦痛でたまりません。 テレビも見れません。。

簡単な家事も段取りが分からなくなりました。

産後3カ月の頃には、体にも異変が現れ始め、酷い倦怠感や、頭に鉛のヘッドギアをかぶったような重い締め付けを感じるようになりました。

全く眠れないので、一晩中、部屋から部屋へと歩き回り、「死にたい。誰でもいいから、私を殺して、この地獄の世界から助けて!」と願いました。

「うつ」が、まさかこれほどまでに狂気の世界だとは、想像もしていませんでした。

 

産後100日、「産後うつ病」と診断。自殺を失敗して入院。

私は、強烈な不安と希死念慮に襲われるようになり、一日中「死ぬこと」のみを考えるようになっていきました。

 

3カ月の赤ん坊を抱きながら、「ここで首が吊れるか?」そんなことばかり考えていました。

産後100日目、私の我慢は限界を超えました。突然、「死にたい!」と騒ぎながら、パニック状態で部屋をぐるぐる歩き始めたのです。

私は、その日のうちに、メンタルクリニックに連れていかれ、やっと、「産後うつ病」と診断されました。

 

抗うつ剤(リフレックス)と抗不安薬(メイラックス)を飲み始めましたが、効果が現れる前に、自殺衝動は高まって行きました。

「こんな母親に育てられるよりも、まともな人間に育ててもらった方が、この子は幸せになれる。私が死ねば、誰にも迷惑をかけなくて済む。やっぱり、死ぬしかない。」

私は、自殺を決意しました。

とはいえ、首を吊ろうにも、ロープもまともに結ぶことができなくなっており、電車に飛び込もうとするも恐ろしくてできません。

そのことを医師に伝えたところ、「入院するべきだ。」と告げられ、精神科の病院に入院することになりました。

 

産後3カ月~4カ月、息子と離れ、不安と絶望の日々。

精神科に入院した当初は、絶望しかありませんでした。

入院する前は、息子と二人きりになると、恐怖で気が狂いそうだったのに、いざ引き離されると、息子のことばかり思って頭から離れません。

「こんな母親でごめんね。一緒にいてあげることもできなくてごめんね。」

「普通のお母さんならみんな一人で育児をしているのに。出来ない私は母親として失格だ。」

深い罪悪感に苛まれ、生きた心地がしない。

先のことを考えだすと、不安が不安を呼んで、「どうしよう」の無限ループ。

「もう治るわけがない。この先、子どもと二人きりになれるとは思えない。退院した後、一体どうしたらいいの?行き場もないし、やっぱり死ぬしかない。」

毎日、ぐるぐると同じようなことを考えては、不安になり、何もする気力がなくなってしまうのでした。

主治医の言葉「育児で一番大事なことは、母親の心が安定していること。」

私を救ってくれたのは、入院中の主治医・向井先生の言葉でした。

「妊娠・出産は命がけ。育児は大変なことだから、人の手を借りてやればいいんだよ。育児で一番大事なことは、母親の心が安定していること!」

この言葉は、私の心にズシリと響きました。

私は出産した途端、一人の人間から、「母親」になるべきだと思っていました。

「母親」は、出産したボロボロの身体でも24時間休むことなく子どものお世話をし、どんなに辛くても逃げ出してはいけない。 それは全ての「母親」が当たり前にやっていることだから、やって当たり前なのだ。・・・と。

でも、それは違う。私が元気で、幸せでいることが、子どもの幸せでもある。そう思えるようになって行きました。

私が、産後うつ病になってしまったのは、私が悪いからじゃない。

 

妊娠・出産という偉業を成し遂げて、ホルモンバランスが変わったこと、産後ほとんど眠らずに育児をしてしまったことで、運悪く病気になってしまっただけ。

私の自責の念は徐々に薄れて行き、自分の心身の回復に専念できるようになっていったのです。

産後5カ月、我が子恐怖症の克服。産後6カ月、退院。

少しずつ、私の病状はよくなり、産後5カ月、息子と再会できることになりました。

久しぶりの大ちゃんは、「こんなに可愛かったの?」と思うほど、可愛いかったことを今でも鮮明に覚えています。自然と涙があふれてきました。「怖い」という感情は消え去っていました。

「あぁ、全部、病気のせいだったんだ。」

我が子を恐ろしく思っていたのは、病気のせいで、私の人格の問題ではなかったことに、心底ホッとしました。

それから、何度か面会を繰り返し、産後6カ月、私は晴れて病院を退院することができました。

3ヶ月も入院していたので、私の体力は相当落ちていました。

最初の一週間、調子に乗って一人でフル育児をしたところ、不整脈の心臓発作を起こして救急搬送されてしまいました。

「一人で育児するのは無理だ。」

私は、保育園の「一時保育」とファミリーサポートを利用することにしました。

私の住んでいる市では、病気が理由で、月に15日まで保育園に子どもを預けられる一時保育の制度があり、産後6カ月から8カ月までは、一時保育をメインに利用しました。

担当の保育士さんたちは、私の事情を良く理解してくださり、息子のことも本当に可愛がってくれました。

離乳食のことなども教えてもらい、「専門の方に育児をみてもらえると、こんなに安心感が違うんだ。」と、思ったものです。

ファミリーサポートは、地域の子育て経験者の方に育児を手伝ってもらえる制度です。

私は、保育園がお休みの日に、具合が悪くなってしまった場合、提供会員さんのご自宅で息子を預かってもらっていました。

こうして、私は、大ちゃんと物理的に離れて、自分の休む時間を確保できたことで、退院後の生活を軌道に乗せることができました。

 

産後8カ月、双極性障害との診断。

私の産後うつ体験は、最後に「躁転」という結末を迎えます。

身体症状(頭の重さ)を取るために、抗うつ剤(レクサプロ)を追加したことがきっかけでした。

最初は、霧が晴れたようにスッキリした気分になって、何も悩みがなくなり、楽しくてたまらないだけでした。

周りから見ても「よくしゃべってハイテンションだな。」と思われていたようです。

退院してからは、ますますやる気と活力が満ち溢れ、やりたいことが沢山。 「政治家になりたい」「起業したい」などと言い出し、夫を困惑させるようになりました。

産後8カ月頃あたりから、私は徐々に、周囲に攻撃的になっていきました。

イライラ感が募るようになり、夫を一方的にまくしたてるように怒り狂ったり、実家の両親に対して攻撃的になり、ケンカをするようになってしまいました。

夫に言わせると、「それまでと人が変わってしまった。危ない人だった。」そうです。

主治医から「軽躁状態になっている可能性があるから、抗うつ剤を中止して、双極性障害のお薬(デパゲン)に変更しよう。」というお話がありました。

病名が「うつ病」から「双極性障害」に変わったことは、とてもショックでしたが、大切なことは診断名ではなく、病気を治すことです。

私は、これまで飲んでいたお薬をすべて中止し、気分安定薬に切り替えることにしました。

これが合っていたようで、産後9カ月、躁状態は治まり、病状は安定しました。

 

産後9カ月、寛解。

気付けば、季節は春。

4月から、新しい保育園に正式に入園させることになっていたので、お世話になった一時保育の先生たちとはお別れ。

私は、先生たちに言いました。「この園がなければどうなっていたかと思います。本当に助けられました。ありがとうございました。」

張り詰めていたものが切れたのか、私は保育園でボロボロ泣きました。先生たちも、もらい泣きをしていました。

帰り道、満開の桜の下を、ベビーカーを押しながら、私はずっと泣いていました。

いつの間にか、夏は過ぎ、秋になり、冬が終わっていた。

「もし、死んでいたら、息子と一緒にこの桜を見ることはできなかったんだ。」

そう思うと、胸にこみ上げるものが溢れ出し、涙が止まらなくなるのでした。

苦しいときにどうやって乗り越えたのか?

「苦しいときにどうやって乗り越えたのですか?」と聞かれることがあります。

私なりに、自分がどう乗り越えたのかを考えてみました。

①一番大事なことは、信頼できる医師に出会い、適切な治療を受けること。

入院仲間に言われた言葉ですが、

「医者の言うことを信じて、何も考えないで、着いていきな!」

本当にこれですね。私は、向井先生という信頼できる医師に出会えて、お薬も自分に合ったものを処方していただけたので、回復が早かったのかもしれません。

②お薬の力を借りてとにかく眠っちゃう

向井先生は、考えごとをやめず、そわそわしている私にこう言いました。

「何も考えず、何もしないで、寝てなさい!」

私は、向井先生の言うことを聞き、お薬の力を借りて、1日に12~15時間眠るようにしました。

 

どうせ起きていても、悲観的な考えごとが止まらないので、できるかぎり何もしないで眠っちゃうのがいいと思っています。


③今のことだけ考える。先のことは絶対に考えない。

うつのときって、先のことを考えだすと、不安になって、絶望するだけなんですよね。「子どもが2歳になったらイヤイヤ期で育児ノイローゼになるだろう。やっぱ、無理だ。」とか。

先のことは考えても仕方ありません。今、生きていることだけでよしとする。

考えごとが始まったら、眠っちゃう。

④自分の好きなことをする。

最初は無理ですが、少しずつ回復してきたら、好きなことをして気を紛らわすのもいいと思います。

私の場合は、ミサンガとか、手芸とか、無心になれるものを探してコツコツやっていました。 自分が無心になれるものをやってみるといいかもしれません。

 

⑤ネットで産後うつ仲間とおしゃべり。

私の場合は、ツイッターで産後うつの仲間を見つけ、おしゃべりしていました。

ピアカウンセリングのような効果があるのかな。お互いに共感して、励ましあっていると、自分の心の傷が癒えて行く部分があるんですよね。

「他にも同じ悩みを抱えているお母さん達がいる」と思うと、孤独を癒すことができました。

 

夫を始め、たくさんの方の支えで、回復することができた。

大前提として、私が回復できたのは、周囲の人たちの支えがあったからだと思っています。

入院中は、義母と夫が息子の面倒を見てくれました。

夫は、平日は仕事をしながら夜のミルクをあげてくれ、毎週末、病院にお見舞いに来てくれました。

「病気なんだから、ミィには何の落ち度もないよ。ミィのことずっと支え続けるよ。」

そう言って、私の病気が治ることを信じてくれました。

他にも、たくさんの人が私のことを支えてくれました。

精神疾患だからと言って色眼鏡で見ることなく、体の病気と同じように扱ってくれた義理の実家。

遠くから心配してくれた実家。

一緒にリハビリをした入院仲間。

辛いときに語り合ったツイッターの産後うつ仲間。

一緒に泣いてくれた一時保育の先生たち。

融通を効かせて助けてくれた、ファミリーサポートの人たち。

忙しい時間を割いて、私の話を聞いてくれ、救いの言葉をかけてくれた向井先生。

いろいろな方のおかげで、私は今こうして生きています。一人では立ち直ることは出来なかったでしょう。ありがとうございます。

幸せになるために、望んで出産したのに、これほど地獄の日々が待っていようとは、人生、何があるか分からないものですね。

でも、今は、可愛い息子と、大好きな夫と一緒に幸せに暮らしています。

一人でも多くの方が、産後うつから立ち直れますように。

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