⑰ 躁転しました編(入院3ヶ月目)

ついに退院!「生きていてよかった。生きてさえいれば、治すことができるんだから。」

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こんにちは、ミィです。私は、第一子を出産後に、双極性障害を発症しました。

最初は、不眠や希死念慮といった、うつの症状が現れていたため、「産褥期のうつ病」との診断でした。精神科に入院し、治療を開始したところ、躁転。後に、双極性障害であることが分かりました。

さて、今回は、ついに3か月間の入院生活が終わり、退院するときのお話を書いていきます。

 

主治医の向井先生、感動の診察。

入院生活80日(産後6カ月)、私は、退院を前にして、自分に起きたことのすべてを主治医の向井先生に聞いて欲しいとお願いしました。

診察にあたっては、それまでの経緯をまとめたレジュメを作り、2部コピーして臨むという気合の入れようでした。(タイトルは「産後うつ~私が狂うまで~」)

私は、診察室に入るなり、向井先生に言いました。

「今日、私は命をかけて診察に来ました。」

「私もそのつもりで来ました。」

診察が始まりました。

「今までのことをネタとして話します。先生に笑ってもらって救われたいんです。」

「あなたが辛かった話でしょ?あなたが辛かった話を笑うことなんてできません。」

向井先生はそう答えて、真摯に聞いてくれました。

私は、出産から入院するまでのことを、詳しく話しました。言われた言葉や経緯などもこと細かくすべて。

夫が出張の日に陣痛が来てしまい、うんこと間違えトイレで一晩中いきんだこと。

初めての母子同室、24時間営業の牛生活。

産後1カ月で精神が狂い始め、いのちの電話にかけたこと。スパルタ精神科女医に「あなたは育児が苦手なだけだ」と誤診されたこと。

産後3カ月で完全に狂ったものの、実家で何とか生きていたこと。

テレビ「笑点」が理解できなくなったこと。毎日夜になると絶叫した息子のこと。

保健師が訪問に来たとき、母が「私だって、これ以上やったら死んじゃいますよ!!」とキレたこと。

夫に「殺して欲しい」と頼んだら「切腹したら介錯くらいしてやるよ。」と冗談で切り返されたこと。

ついには、座っていられなくなり、昼も夜も歩き回っているようになったこと。「死にたい」と騒いで、メンタルクリニックを緊急受診した日のこと。

自殺をしようとするも、紐が結べず、首つりを断念。田舎なので、飛び降りる場所もなく、飛び込みに行ったこと。でも、電車の音が怖くて思いとどまったこと。

先生は全く笑うことなく、ただ聞いてくれ、こう言いました。

「笑うところはひとつもありませんでした。」

「友だちは、漫画みたいとか、ありえないとか言って笑いますよ。」

「全然、荒唐無稽な話だとは思いません。十分あり得る話だと思います。私が笑えないのは、うつ病を知らない世界をもう忘れてしまっているからです。職業病です。すみません。あなたが生きていてくれてよかった。生きてさえいてくれたら、私たちは治す手助けが出来るんです。

お医者さんが、患者のうつ体験で笑うはずがありません。当時、軽躁状態だった私は、そんなことも分かりませんでした。

友だちに電話をかけては、究極の自虐ネタとして産後うつ体験を面白おかしく話していたので、てっきり先生も笑ってくれるものと思っていました。

ネタはスベッたものの、先生はこんな優しい言葉までかけてくれました。

「あなたの人生の姿勢は、どんなことでも笑いに変えて行くっていうことなんだね。でも、それは、悲しい曲を変調で楽しい曲に変えているようなものだね。」

向井先生が私の主治医で本当によかった。私は、先生に救ってもらったと思いました。

そして、退院。生きていて本当によかった!

入院して87日、私はついに現実の世界に戻りました。

退院前には、入院仲間がちょっとしたお祝いをしてくれたり、プレゼントをくれた方もいました。

退院のとき、私は、入院仲間と看護師さんたちにチョコレート、お手紙、自分で作ったミサンガを配り、たくさんお礼を言ってさよならしました。

向井先生には、「生きたいです!『逝きたい』じゃなくて。」などと言い、またスベリました。

入院したときは、表情をなくし、何もできなくなっていた私が、3カ月後、元通り元気に戻っていました。(むしろ、躁転していたので、エセ元気な状態。)

自分でも信じられないことでした。最初は、全く先が見えないトンネルに1人放り出され、真っ暗な絶望の中を歩いているようでしたから。

このあと、私は、退院後からの1年間経っても、一度もうつ状態になることなく、良くなりました。

それも、向井先生を始め、入院仲間や看護師さん、作業療法士の先生たちが、本当に良くしてくれたおかげです。

特に、向井先生は、いつも私に必要な言葉をかけてくれました。

「とにかく、疲れたら休むこと。そうすれば大丈夫だから。」
退院のときはそう言ってくれました。
それもこれも、理解ある家族が、私をいい病院に入院させてくれたおかげです。

「海外旅行にでも行くつもりで入院してきなよ。」と言ってくれた優しい夫。夫は、毎週末、私のお見舞いに来てくれ、精神的な支えになってくれました。退院したとき「入院中は、孫の面倒が見れて楽しかったですよ。過去のことはいいから、これからのことを考えましょう。」と言ってくれた、お義母さん。私がいない3ヶ月間、大ちゃんを育ててくれたお義母さんには、感謝の言葉が見つからないくらいです。いろいろな方の支えがあり、私は回復することが出来たのだと思います。

あのとき、死ななくて本当によかった。

生きてさえいれば、治すことができるんだから。

もしできるなら、死のうと思っていたあの頃の私に伝えたいです。

退院後の生活は不安じゃなかった?

退院後の生活は、不安でした。

向井先生にも、「退院後の生活が不安です。」とよく言っていました。

でも、うつ状態のときの強烈な不安感とは全く違い、ごくありふれた不安でした。

「ちゃんとやれるのかなぁ」と。

反面、やっと家族三人で暮らせることが嬉しく、楽しみでもありました。

次回からは、退院後の生活を書いていきます。

⇒ つぎの記事  退院後すぐにフル育児しながら全力疾走したら、救急搬送された話。